色葉ひたち
幻の初恋 番外編 ~ケイ視点~
第4話 独占欲
ケイはそれからも、度々レンを呼び出した。最初の頑なさはすっかりなくなり、レンは以前のように自然に会話をしてくれるようになった。
ケイは、このまま少しずつレンの心と体を懐柔して、自分の物にしてしまおうと考えていた。
レンの研修期間が終わり、都省への配属が決まった。ケイはコウに、祝宴の準備をするよう命じた。ケイはこの日を楽しみにしていた。配属のお祝いには酒を飲むとレンと約束している。レンは酒を飲むと一気に緩くなるから、あわよくばレンを抱けるかもしれないとケイは考えていた。
コウがなぜかため息をついたので、ケイは不思議に思ってコウ見た。
「なんだ?」
「いえ……。どうしてこう回りくどい事をなさるのかと思いまして。陛下は皇帝陛下なのですから、ソウ・レンに命じて、さっさと床に上げてしまえばよろしいのではないですか?」
ケイは首を振った。
「それではレンの心が手に入らない。私はレンの身も心もすべてを手に入れたいのだ」
「さようですか」
コウが再びため息をついた。
「なんだ?」
「いえ、何度もあの者を呼びにいかされる身にもなって頂けたらと思いまして」
「それこそ、皇帝の命なのだから、素直にきけばいい」
「かしこまりました」
コウが呆れた表情を浮かべつつ、ケイに頭を下げた。
その日の夜、ケイはレンと祝宴を上げた。レンと食事をしながら談笑し、酒を勧める。
しばらくすると酒が回り始め、思っていたとおり、レンがぼんやりし出した。ケイがレンの肩に手を回して体を引き寄せると、レンはケイにもたれかかって来た。レンの頬は赤く染まり、目がうつろになっている。
ケイはそんなレンの姿を見つめて、
「ほんと、かわいいな」と呟いた。
そして、レンの顔を自分の方に向かせると、そっとレンの唇に口づけをした。やはり、レンは全くの無抵抗だ。ケイはレンの唇の隙間から舌を入れ、レンの舌に絡ませた。
《いけるかもしれない》
ケイはレンに口づけをしながら、レンを長椅子に押し倒した。そして、レンの体に撫でるように触れ、衣の合わせ目から手を滑り込ませた。レンの滑らかな肌の感触に、ケイの鼓動が一気に跳ね上がる。ケイの手がレンの体の敏感な部分に触れると、レンが、
「んっ」とくぐもったような声を上げた。
ケイの興奮は一気に高まった。ケイは夢中でレンの頬や首筋に唇を這わせた。
レンが、
「だめ、だめだ。ケイ、やめて」とうわごとのように言った。その声にも体にも全く力が入っていない。こんな状況で、止められるわけがなかった。
レンが息を上げながら、「ずるい……」と言った。それすらも扇情的だ。とにかく、レンの言動のすべてが、ケイを昂らせる。
ケイは、レンの服を脱がせようと、レンの帯に手を掛け、上半身を起こした。すると、その隙に、レンが、
「やめろよ」と言って、ケイの体を手のひらで押し、ケイの下から逃れようとした。まだ理性が残っていたのかと思い、ケイはレンの手首をつかんだ。
「本当にいや?」
ケイが尋ねると、レンはケイから目を逸らし、
「いやだ」と答えた。
ケイは残念に思ったが、酔っていても、レンには合意の上でケイに抱かれて欲しかった。しかし、ここでただ引き下がるわけにはいかない。レンに自分の意思で、ケイをどこまで受け入れられるのかを決めさせようと考えた。
「じゃあ、どこまでならいい?」
レンは「え?」と言って目を丸めた。
「抱きしめるのはいい?」
「あ、ああ」
「口づけは?」
レンは少し迷うそぶりを見せたが、
「……いいよ」と答えた。
ケイは内心、やったと思った。やはりレンは、ケイの事を本気で嫌がっているわけではないのだ。これは、合意の上でレンを抱けるのも時間の問題だとケイは思った。
「触るのは?」
「それは、程度による」
「今ぐらいまでだったらいい?」
「……なんでそんな事訊くんだよ?」
「レンがいいって言うところまでで我慢しようとしてるんだ。もし、それも許してもらえないなら、今ここで無理やりにでも私の物にする」
少し脅すと、レンは、
「分かったよ。ちょっと触るぐらいだったらいいから。だからもう離してくれ」と言った。
ケイは、今日はもうこれで充分だと思った。これからは、レンに堂々と触れる事ができる。こうして少しずつ、レンに自分を受け入れさせようと思った。
「じゃあ、これからは毎日、ここに来てくれる?」
「え?」
「私はレンのせいで欲求不満なんだ。その分、たくさんレンと会わないと耐えられない」
それは本当だった。ケイはレン以外には欲情しない。だから、レンを抱けなければ、永遠に禁欲生活が続いていくのだ。だから、会う回数を増やし、拒めないぐらいにケイに夢中にさせて、何としてでもレンを手に入れなければならない。
「分かったよ。ただ、来られない日もあると思う」
「いいよ。それでも。来てくれるなら」
ケイは、うれしくなってほほ笑んだ。
翌日、レンは約束どおり部屋に来てくれた。
二人は一緒に食事をしたが、レンは酒を飲もうとはしなかった。酒を飲むのはお祝いの時だけと言っていたから仕方がない。
ケイは、レンの方に近付くと、レンを引き寄せて抱きしめた。そして、レンの頬に手を掛け、自分の方を向かせた。ケイがレンを見つめると、レンも目を逸らさずにケイを見つめ返してくれる。ケイは、昔に戻ったようだと思った。
ケイは、レンに顔を近づけて口づけをした。レンはもう、抵抗する事はなかった。ケイが口づけを深めると、レンもそれに応えてきた。レンもだいぶ慣れてきたようだ。
レンの目にはケイに対する愛情を感じる。やはり、レンの心は自分から離れてはいなかったのだとケイは安堵した。
それからレンはほとんど毎日、自主的に部屋に来てくれるようになった。ケイはその度にレンを抱きしめ、口づけを交わし、レンの体に触れた。許可をした手前、レンはケイがする事をすべて受け入れてくれる。ケイは、もうほとんどレンを手に入れたも同然だと思い始めた。
しかし、ある日事件が起きた。
ケイはその日、空き時間に都省へと向かった。今日と明日は部屋に来られないと、レンから予告されていたから、今のうちに少しでも姿を見られないかと思ったのだ。
ケイは都省の執務室を覗いたが、レンの姿は見当たらなかった。すると、都省長がケイの姿に気付き、声を掛けてきた。
「陛下、いかがなされましたか?」
ケイは都省長に目をやり、
「新人はよく働いているか?」と尋ねた。
「はい。ジョ・リョクとソウ・レンは二名とも卒なく業務をこなしております。入省してからずっと忙しくしていましたので、ちょうど今日と明日の二日間、休みを採らせたところでございます」
「休み……?」
ケイは固まった。レンは今日と明日、仕事で来られないと言っていた。
《レンは嘘をついていた?》
一瞬にして、ケイの心は不安に苛まれた。
ケイの表情を見て、都省長は、ケイが快く思わなかったと思ったのか、
「二名ともしっかり業務はこなしておりますので、ご容赦下さい」と言った。
「もちろんだ。休みは必要だろう。それで、二人は休みをどのように過ごしているのだ?」
「そこまでは把握しておりません」
「そうか。たまの息抜きは必要だ。これからも配慮してやってくれ」
「はい」
ケイはその場を去った。
《なぜレンは嘘をついた?》
レンが嘘をついた理由をどうしても突き止めなければならない。まずは、レンが今どこで何をしているのかを把握する必要がある。
ケイは宮中を歩き回った。そして、ジョ・ハクの姿を見つけると、足早に近付いて行った。
ジョ・ハクが気付き、
「陛下」と、ケイに頭を下げた。
「さっき都省を通りがかったのだが、息子のジョ・リョクは卒なく業務をこなしているらしいな」
「恐縮に存じます」
「今日明日は、休んでいると聞いたが」
「はい。入省して初めて二日休みを頂いたようで、友人と出掛けております」
《友人と出掛けている……》
ケイの脳裏に、レンがリョクの事を友だちだと言っていた記憶が蘇った。二人は一緒なのではないかと、ケイは思った。
「それは良かったな。どこまで行ったのだ?」
「トンサン市へ祭りを見に行くと申しておりました」
それを聞いて、ケイは凍り付いた。間違いない。レンはリョクと一緒なのだ。そして、よりによって故郷のトンサン市に、共に帰ったのだ。
「そうか。たまの休みだ。良い息抜きになると良いな」
ケイはそう言い、その場を去った。
そして、急いで居所に戻り、身支度を整えると、コウに置手紙をし、馬舎へと走った。今出れば、日暮れ時にはトンサン市に着くだろう。どうしてもレンに会って直接事情を訊かなければならない。
ケイは馬を走らせ、トンサン市に向かった。
トンサン市に着くと、辺りは暗くなり始めていた。
ケイはまず、レンの実家の様子を伺ったが、そこにレンがいる気配はなかった。
二人が祭りを見に来たのなら、今日はきっと泊まるはずだ。トンサン市には宿は一つしかない。
ケイは宿へ行き、今晩ジョ・リョクという者が泊まるか尋ねた。すると、思ったとおり、宿帳にジョ・リョクの名前があった。ケイは胸騒ぎがしていた。レンの実家は狭い。もしかすると、レンがリョクと共にこの宿に泊まるという事も有り得るのではないかと思った。
下手に街を探し回るよりも、ここで待っているのが確実だろうと考え、ケイは宿の外でリョクが戻って来るのを待つ事にした。どうか、リョク一人で戻って来て欲しいと、そう願った。
しかし、そんなケイの願いは無残にも打ち砕かれた。しばらくして、レンとリョクが連れ立って宿の方へ歩いて来た。遠目に見ても、二人はとても楽しそうだ。ケイの心に、どうしようもない怒りと、嫉妬の感情が渦巻いてきた。
ケイの姿に気付いた二人は、相当驚いた様子だった。ケイの前に来ると、一礼し挨拶をしたが、レンは後ろめたいのか、ケイとは目を合わせなかった。
「ソウ・レン、話がある」
ケイはリョクを残し、レンを人気のない場所まで引っ張っていった。
ケイは、
「レン、これはどういう事なんだ?」と、レンを問い詰めた。
「ごめん……」
レンは目を伏せたまま、ケイに謝った。ケイの怒りは収まらなかった。
「なぜ私に嘘をついた? なぜ私でなく、ジョ・リョクとここにいる?」
「今日は祭りだったから、リョクを誘ったんだ。ケイはどうせ来られなかっただろ?」
レンの言葉がケイの心に突き刺さった。確かに来られはしなかったかもしれないが、黙って出て来る事はなかったのではないだろうか。嘘をついてまでケイに隠し、ケイ以外の人間と出掛けるのはあまりにもひどい。
「レンが言ってくれれば、私は一緒に来たかった」
ケイが言うと、レンは顔を上げた。
「だから言わなかったんだ。皇帝がこんな祭りに来るなんて、あり得ないだろ?」
「ひどいじゃないか。この街は私とレンの思い出が詰まっている街なのに……。私に言わずに、しかも、他の人と来るなんて」
ケイは、ケイとレンの思い出の聖域を侵害されたような、そんな気分だった。
「言わなかったのはごめん。だけど、俺が友だちとどこへ行こうと、俺の勝手だろ?」
「どうしてそんな事を言うんだ? それに、どうしてジョ・リョクと一緒に宿に来たんだ? まさか、一緒に泊まるつもりだったのか?」
「そうだけど……」
ケイは頭に血が上った。レンが自分以外の人間と二人きりで一夜を過ごすなど、考えたくもない。
「絶対だめだ! 許さない! 私以外の男と宿を共にするなんて!」
すると、レンもいらついた様子で反論してきた。
「男同士の友だちで、一緒に泊まるのなんて、何も問題ないだろ?」
ケイは首を振った。
「私は誰ともレンを二人きりにさせたくない。泊まるなんて、絶対にだめだ!」
自分以外の人間を優先したり、自分以外の人間と親密になったり、そういう一切をレンにはして欲しくなかった。
レンは強い口調で、
「そんな風に俺を縛るなよ。俺はケイの物じゃない」と言った。
その言葉に、レンはケイが想うほど、ケイの事を想ってくれてはいないのかもしれないとケイは思った。そう思うと、胸が締め付けられるように苦しくなる。
ケイは恐る恐る、
「私は、レンと心が通じ合っていると思っていた。レンは違うのか?」と尋ねた。
レンは再び目を伏せた。
「ケイ……。公私混同はしないで欲しいんだ。だから、こういう事は止めて欲しい。俺にも友だち付き合いとか人間関係があるし、そういうのまで縛られたくない」
ケイはショックだった。レンとはもうすっかり昔のように両想いに戻っていて、レンも自分を愛してくれているものだと思っていた。しかし、レンはそうは言ってくれない。だとしたら、このまま嫌われて、また自分の元から去ってしまう事も有り得る。
「ごめん、レン。でも今日は、私と一緒に都へ帰ろう?」
ケイはなだめるような口調で言ったが、レンは首を振った。
「俺は明日帰るよ。だから、ケイは一人で帰ってくれ」
一人で帰ってくれという言葉が、ケイの心に突き刺さった。レンの心を手に入れる事はできていなかったのだと痛感した。それでも、レンとリョクが一緒に泊まる事だけは阻止しなければならない。
「やだ。絶対許さない。どうしても残るって言うなら、レンは実家に帰ってくれ」
レンはため息をついた。
「分かった。俺は、今日は実家に泊まる。それならいいだろ? だから、ケイは早く宮廷に戻ってくれ」
その投げやりな言葉に、ケイは悲しくて胸が押しつぶれそうだった。ケイは力なく、レンの両腕を離した。
「分かった。私は帰る。だけど、明日はなるべく早く帰ってきてくれ」
「分かったよ」
ケイは完全に意気消沈してその場を去り、一人都へと帰った。