色葉ひたち
聖なる闇の賛歌
その3~カミル~ (3)
それから三日が過ぎたが、レイナスは一向に目を覚まさなかった。
カミルは家からほど近い、外の洞窟の中にいた。岩をどかしながら地面をなるべく平らにしていく。カミルが作業をしていると、洞窟にサラディンが入ってきた。
「カミル、何をしている?」
「これ、見て」
カミルは、平らになった地面の上に敷物を敷いた。
「これは、何だ?」
「ちょっと祭壇みたいだろ?」
カミルは、洞窟の奥に岩を重ねて棚のようにしていた。その上に、見ようによっては人の形にも見える岩を据えている。その棚の正面の床に敷物を敷いていたのだった。
「なぜそんなものを造っている?」
「俺はもう、教会には入れないっていうから、気分だけでもって思って。これなら、ナレ村に帰れなくても寂しくないだろ? 毎日ここでお祈りするんだ」
「そうか……」
「それで、これをさ」
カミルは言いながら、持ってきた旅の荷物用の袋を取り出し、袋の中から聖書を取り出そうとした。しかし、聖書に触れた瞬間、右手を雷で打たれたような激しい衝撃が走った。
「痛っ!」
カミルは慌てて手を引っ込めた。
「どうした?」
サラディンがカミルの右手を手に取り覗き込んだ。見た目は何ともないが、痺れたような痛みがある。
サラディンは袋の中を見て合点がいったようだった。そして、「おまえは馬鹿か」と言った。
「もしかして……」
「おまえはもう、こういった類の物に触れる事は出来ない」
サラディンは不意に姿を消すと、濡らした布を持って再び現れた。そしてそれをカミルの右手に当てた。
「ありがとう」
カミルの手に刺激を与えないようにしてくれているのだろう、それは包み込むような優しい手つきだった。カミルがこんな至近距離でサラディンを見たのは初めてだ。サラディンは、カミルの右手を見ているから、伏せ目がちになっている。
《まつげ長いな》
カミルはぼんやりとそんな事を思った。
「聖書をどうするつもりだった?」
「…………」
「カミル?」
「え? ああ。せっかく礼拝堂を造ったから、朗読しようと思って。そしたら、よりそれっぽくなるだろ?」
「それっぽく?」
「うん。教会っぽく。でも俺、教会にいた頃は、全然朗読とかお祈りとか真面目にやらなかったんだけどな」
「なぜ敢えて今やろうと思う?」
「不思議なものでさ、毎日当たり前にやってるお勤めだと思うと、やる気が起きなかったんだけど、いざ出来なくなったって思ったら寂しいような気がして」
「そうか。まあ、そういう心情はありがちではあるな」
サラディンが一度布をはずしてカミルの手の様子を確認した。そして「痛みはあるか?」とカミルに訊いた。
「ちょっとチクチクするけど大丈夫だよ」
「これからは気をつけろ。教会、十字架、聖書、聖水、ロザリオ、全部ダメだ」
「分かった」
なんだか自分が、本当に化け物になってしまったような気がして落ち込むが仕方がない。カミルは気持ちを切り替えることにした。
翌日の朝、カミルは早速、洞窟の礼拝堂で祈りを捧げた。
《神様……。もう神様は俺の言うことなんて聞いてくれないかもしれないけど……。もし聞いてくれるなら、レイを起こして下さい》
他に方法がないから、こうして神頼みをするしかない。
祈りを終えて家に戻ると、カミルはレイナスの傍に行き、レイナスの手を握った。
「レイ、起きろよ。俺、元に戻ったから」
呼びかけても全く反応はない。
そこに、サラディンが入ってきた。カミルは振り返って「おはよう」と挨拶した。
「おまえは、いつも早いな」
「習慣で」
サラディンも、カミルの隣に来てレイナスの様子を見つめた。カミルはサラディンを見上げた。
「こんなに眠ったままで、大丈夫なのかな?何も食べてないし、少しやつれた気がする」
「不老不死の体だから死ぬことはないが、弱っているのは確かだ」
「あのさ、サラディン」
「なんだ?」
「行きたい場所があるんだけど、一緒に行ってくれない?」
「構わないが、どこだ?」
「昔、レイと一緒に行った場所なんだ。山なんだけど」
「山?」
「うん。願いが叶う花が咲く山なんだ。そういう伝説が古くからあって、前にレイとその花を探しに行ったことがあるんだよ」
「まさか、その花を見つけて、レイナス様が起きるように願掛けでもするつもりか?」
「うん。そうだよ」
カミルの言葉に、サラディンは呆れ顔でため息をついた。
「おまえは子供だな」
「馬鹿にするなよ。伝説だって魔術だって、同じようなものだろ?」
「では聞くが、その時の願い事は叶ったのか?」
「叶ったよ」
「どんな願いだ?」
「無事に教会に帰れますように」
「え?」
「その山に行く途中で道に迷ったんだよ。だから、無事に教会に帰れるように祈ったんだ」
「信じられないな……。まあ、当時は本当に子供だったから、仕方がないか……。では、レイナス様は何を願った?」
「それは、教えてもらえなかったよ」
「そうか。では、叶ったかどうか分からないな」
「まあ、それはそうだけど……。でも、少しでも可能性があるなら、できることはやっておきたいだろ。今は、祈るぐらいしかできないから。だから、一緒に探してくれない?」
「まあ、いいだろう」
サラディンは渋々っぽくではあるが、うなずいた。
二人は身支度を整えると、カミルがサラディンの手を取った。頭にあの山を思い浮かべて強く念じると、目の前の景色が一瞬で変わる。二人は山の中にいた。
「前はあんなに大変だったのに、こんな簡単に来られるんだな」
カミルは感心して辺りを見渡した。
「それで、その花はどういう花だ?」
「白くて、花びらが5枚で、小さな花だよ」
「あまり特徴のなさそうな花だな」
「うん。だから見つけるの結構大変なんだ。二手に分かれて探そう」
カミルとサラディンは、それぞれ別々の方向に行き、花を探し始めた。
花は小さいから、足元の茂みの中を注意深く探りながら少しずつ歩く。探し続けて数時間経ったが、花は全く見つからない。伝説になるぐらいの花だから、そうそう簡単に見つかるはずはなかった。
カミルは、幼い頃にレイナスと来た時の事を思い出した。あの時は、二手に分かれることなんて不安でできず、二人でずっと手をつないだまま花を探した。
『僕たち、ちゃんと教会に帰れるかな?』
『大丈夫だよ。俺、花が見つかったら、無事帰れるようにお願いするから』
『え? それなら、僕がするよ。それで、カミルは自分の願い事をした方がいいよ。だって、カミルは願い事があるから、花を探しに来たんでしょ?』
『願い事はないよ。ただ、願い事を叶える花を見てみたかっただけ。だから、レイは自分の願い事をしたらいいよ』
カミルは、レイナスとのそんな会話を思い出して、なんだか心が温かくなった。
「何をにやついている?」
不意に声を掛けられて、カミルは我に返った。少し離れた場所で、サラディンが不思議そうにカミルを見つめていた。
「何でもないよ」
カミルは赤面した。思い出し笑いを見られていたかと思うと恥ずかしい。
「カミル、こっちへ来い」
サラディンはカミルを先導して歩いていった。そして、サラディンが指し示す先に、白い小さな花が咲いていた。
「あ! あった」
「この花で良いのか?」
「うん」
カミルは、花に駆け寄った。そして、花の前に屈み込むと、両手を組んで目を閉じた。
「レイが目を覚ましますように」
それから、「サラディンも」と言って、サラディンを手招いた。しかし、サラディンは首を振った。
「私はいい」
「ええ? 二人で祈れば力倍増するかもしれないだろ?」
「そんなわけないだろう」
サラディンの目は冷ややかだった。花の力を全く信じていない様子だ。
「冷たいなあ……」
カミルは諦めて立ち上がった。
「用が済んだなら、帰るか」
「うん」
カミルはうなずき、二人同時に家へと瞬間移動した。